ウクライナ戦争と「反グローバリズム聖戦」【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」47
◆「日本にとって」の視点を持て
しかしアメリカがロシアにやろうとしていることと、ロシアがウクライナにやろうとしていることが、本質において同じだとすれば、「ウクライナ支援=反権威主義聖戦」という発想も正しくありません。
だったら「ウクライナ侵攻=反グローバリズム聖戦」というプーチン流、ないしドゥーギン流の発想も正しくなってしまうのです。
ならば、どのような姿勢を取るのが正しいのか?
ここで注目すべきは、「グローバリズムに反対する国は~」という主張と、「権威主義に反対する国は~」という主張に、面白い共通点があること。
ウクライナ戦争をどう評価し、どう対応するかについて、どちらも普遍的な正解があることを大前提にしているのです。
くだんの正解から導き出される結論が、逆になるだけの話。
けれども「ウクライナ戦争と近衛文麿の洞察」(令和の真相44)で論じたように、戦争をどう評価するかについて、普遍的な正解など存在しない。
戦争とは武力の行使によって現状を大きく変えようとする試みである以上、特定の戦争をめぐる評価は、国際社会の現状が、自国にとってどこまで望ましいかによって決定的に変わるのです。
そして私の見るところ、国際社会の現状は以下のように要約できる。
(1)アメリカの世界的な覇権は、さまざまな弊害をもたらしたあげく衰退しつつある。
(2)これを受ける形で、地域覇権を確立しようとする試みが顕在化している。中国、およびロシアはその代表例である。
くだんの現状は、日本にとってどこまで望ましいか?
これこそ、ウクライナ戦争を「日本にとって」正しく評価するための出発点なのです。
当の評価は、他国にとっての正しい評価と同じではない。
いや、違って当たり前。
それが主権の何たるかですよ!
この先は次回、お話ししましょう。
文:佐藤健志